機材紹介「YAMAHA SL800S 81'」
ちょっと前ですがレスポールを買いました。
YAMAHA SL800S
シリアルナンバーより、1981年製と推測されます。フジファブリックのソウ君と同い年。
一応ジャパンビンテージ?。こんな古いギターを買ったのは初めてなのだけど、傷や塗装の色褪せ方からも渋さが伝わってくる良きギターです。
当時のカタログを調べてみました。
カタカナの使い方に時代を感じる。
材は、いい感じのレスポールです。
ただ、指板がエボニーのなかまの「ストライプエボニー」なので、どちらかというとレスポールカスタムにちかいかも。前年までSL1000,SL1200といった上位機種が存在していてエボニーはそっちが使っていたため、SL800の指板はローズウッドだったらしいですが、この年からSL800が最上位機種になったのでこんなスペックになったらしい。
電装系については、ハムバッカーピックアップにこの時代では珍しい(多分)コイルタップ機能がついてます。ハムをシングルにできる機能ね。当時はコイルタップなんて単語が浸透していなかったのでしょうか、「バイサウンドシステム」という名前で紹介されていますね。
重量4.3kgとかいてありますが、入手した個体はたぶんもっと重いです。僕が手にしたことのあるギターのなかで一番重いです。
塗装はなんなんだろう。すごい渋いですよね。オイルステインて書いてありますが、同色のギターは検索してもなかなかヒットしません。ちなみに、ボディ裏やネックはサンバースト塗装みたいになってます。見えないとこまでこだわってます。さすが最上位機種。
定価は¥80,000。現在の価値で¥120,000くらいらしい。
今回、某リサイクルショップにて¥39,800でした。ハードケース付き。
いい買い物でしたが、ピックアップが高すぎて弦が当たっている、弦高低すぎ、ネック順反り、、、と、調整がなにもされてなかったので、全部やらなきゃって感じです。そこも含めてジャンクギターの楽しみですけれど。こんな感じでまともな音が出る状態じゃなかったので試奏はしましたがあまりなにも考えませんでした。直感でした。このギターが僕を呼んでいる...的な。
ただ、フレットの減りがほぼ一切ないのは不思議です。僕が持ってるどのギターよりもきれいです。しかし、ボディーの打痕とか傷はあるので、使ってなかったということはないでしょう。リフレットしたんかな。前の持ち主とか想像しながら弾けるのもまたこういうギターの良さですよね。
...いろいろ調整してみたのだけれど。
オクターブチューニングが一切合わないので、サドルを本来の向きとは逆方向に装着して無理やり合わせました。 結果、6弦がネジに干渉してるので、不思議な音がします。強めに弾くとピッチが引っ張られるので「ブイ~↑ン~↓」みたいな。本来はあってはいけないですが、パンクとかギターロックには合いそう。あと、3弦のチューニングがずれまくるけど、慣らしていけば解決するはず。
音はとにかく渋い。重さも相まって、ローミッドが太いです。歪みのエフェクターやアンプを選ぶ感じだと思う。ローを飽和させないようにどう音を作るかが課題であります。これまで所有していたハムのセミアコとは全然違うキャラです。
あと、コイルタップもいい感じです。ハムの時に歪み強すぎて飽和感出てきたらパッと出力落とすことができて便利。コイルタップなんて中途半端なモノは認めないのが漢だと信じていましたが、実際触って見ると便利なんだよな。
いろいろ書きましたが、なんだかんだいいギターなんです。
レスポールをはじめ、gibson系ハムのギターは鳴らすの難しいんですよね。シングルコイルみたいにピッキングのニュアンスがすぐ出てくれない。考えてピッキングしないと平坦な音しかでない。でも、ハムバッカーを弾いてるときしか浸れない気分というものがあるんですね。メロコアとかハードロックとかはハムじゃないとね。
は~、レスポール鳴らせる男になりたいねえ。精進します。
今回、ハードオフという新しい沼を発見したのでありました。
アルバム感想 : yonige「健全な社会」
yonige「健全な社会」
yonigeのメジャー2ndアルバム。
正直、yonigeのアルバムをまともに聞いたのは初めて。「アボカド」「さよならプリズナー」といった代表曲は好きだけど、特に掘り下げて聞いたことはなかった。2年前の「笑おう」以降の曲は全く知らない。そんな中、ふとapple musicで#1「11月24日」を聞いて何故かものすごく引き込まれてしまい、アルバム全通しで聞いた。
ビビった。「yonige」ってこんなバンドだったか?
1曲目「11月24日」
yonigeのイメージは、スイッチをガムテで固定したレスポールをガッツのある歪みでかき鳴らすような、ド直球ギターロックのイメージが強かった。そして、バンド演奏というよりは、歌を基本にしたようなサウンド、弾き語りから組み立てたようなシンガーソングライター的な曲が多かったはず。
この曲をアルバムの1曲目にもってくることで大きくそのイメージをぶっ壊す。イントロから練りに練られたバンドアンサンブル。奥行きのある音場。「Aメロ、Bメロ、間奏、Aメロの後、一度しかないサビ、間奏、Aメロ」という、流れるような捉えどころのない曲構成。抑揚のない力のない歌メロ。そして恐ろしく内向的な歌詞。この曲中、歌詞の主人公は何もしていない。15時半に目覚めぼんやりとした暗い考え事をしただけで、一歩も家から出ない。というか、そもそも歌詞自体あまり聞き取れないミックスになっている。
サビの繰り返しやキャッチーなメロとは正反対のような曲だが、単純に暗い曲として片づけられない、深みのある曲。こんな曲を1曲目に持ってくるのは、yonige攻めてるなあと感じた。
いや、攻めているのはアルバム全体であった。
聴き進めていくと、この後の9曲、全部この雰囲気なのである。
3曲目「ここじゃない場所」からインストをはさみ5曲目「往生際」への流れは、曲間をインストでつないだコンセプトアルバム的展開。極限までそぎ落とされたバンドアンサンブルで、アルバム中で一番の緊張がはしる場面。
後半にかけては、前半の焦燥感は薄れ、もう少しリラックスしたような曲が並ぶ。いや、リラックスというか、前半の苦悩から何かを悟ったに近いか。
もはや環境音のような熱のない冷めきった演奏。リフも、曲構成も、コードも、リズムも、シンプルかつ難解な方向へと振り切っている。メロにはあまり抑揚をつけないことで演奏の難解さをやわらげて、サウンドのバランスをとっているような印象。とにかく最低限の骨組みだけで曲を成り立たせている。また、はじめてギターのサポメンが製作段階から参加しているようで、3ピースバンドながら、早い段階からツインギターアレンジを試していたのだと思われる。そのyonige式ツインギターのアンサンブルが超素晴らしい。
歌詞にはアクティブさが皆無。何かをしようとかしたいとか、だったらとか、希望や行動、欲望といったものがない。何かを提案したり、主張することもない。「あの人」「あなた」「君」に関すること、もはや抽象的過ぎてよくわかんない事を、内向的に、日常とともに綴る。
このアルバムの発売日は、2020年5月20日。もともとは4月8日が発売日となるところ、4月29日に延期、その後緊急事態宣言に従って再延期となり、5月20日となったらしい。
おそらく日本がコロナ禍に巻き込まれる以前にアルバムは完成していたはずだが、なぜかコロナ禍の雰囲気がどこかに漂っている作品のように感じた。おそらく僕がこのアルバムに惹かれたのはそこである。自由が奪われた日常に、親しい人に会えない日々に、過去のことや自分の内面を掘り下げて掘り下げて、不安が増すばかりで結局どこにも着地しない、恐ろしく何もない日々。
こちら、公式インタビュー。
今回は、特別何もないアルバムですね。ドラマティックなことがだんだん興味なくなってきて、「何にもない」ということをどうやって書くかっていう方向に変わってきています。
「何にもない」
すごいテーマだと思う。コロナ禍でなければここまで響くことはなかったと思う。
しかし逆に、コロナ禍の最中やコロナ禍の直後にはなかなか描くことができないテーマであるとも思う。悲しみや恐怖、不安の大きい世の中でメジャーの音楽に求められるのは、温かみである。当たり前の日常を幸せと感じ、感謝することを描く音楽であると思うのだ。
このアルバムは、非常に不思議なタイミングに世に出てしまった。と思う。
万人には響かないと思うが、刺さる人にはものすごく刺さると思うので、ぜひ聴いてください。今、聴いてください!
Mr.Children田原健一「田原史その1:1992~1993田原さん頑張って期」
Mr.Childrenの28年を超える歴史の中、ギタリスト田原さんの音も常に変化してきた。
田原さんの音を追い続けたワタナベなりに、その歴史をまとめると大きく以下のように大別出来ると思う。
1:1992~1993 田原さん頑張って期
2:1994~1997 田原さん挑戦期
~ミスチル活動休止中:田原さん覚醒~
3:1998~2005 ロックギタリスト田原健一期
4:2006~2012 田原さんコバタケの陰でいい仕事してる期
5:2013~現在 田原さん再び挑戦期
今回は、
1:1992~1993 田原さん頑張って期 について。
アルバムでいうと「Everything」「kind of love」「Versus」の頃。Mr.Childrenはデビュー直後で現在よりさわやかで若いな~って感じの歌詞・サウンド。
サウンドがシンプルなので田原さんのギターがよく聞こえるが、なかなか田原さんのおいしいポイントが出きってない時期だと思う。
インディーズから出てきてキーボードのサポメンがついた直後なので、おそらくギターがまだそのバンドサウンドを想定していなかったり、慣れてないフレージングや音づくりになっている。とくに、音作りに関しては、現在の田原さん特有のアナログ的なあたたかみがまったく出ていない。それは、当時、レコーディングがアナログテープからデジタルに移行しつつあり、現在人気のレコード盤的なアナログの質感を求める...ではなく、デジタル的な音を皆が求めていた時代であったことが原因として挙げられると思う。「kind of love」ではギターすらアンプで音を出さずライン直で録ったりしているらしい。時代的に求められる音が違ったんだろうなあ。
「抱きしめたい」アルバム kind of love収録曲。アンプを通してないのでギターの音が固い気がする。
また、プレイの実力的に厳しかったのか、レコーディングのサポートギタリストとして小倉博和氏(福山雅治のサポメン等で有名)が参加していたり、リードギター的フレーズ(君がいた夏のイントロなど)を桜井さんが弾いていたりする。
こんな感じで、デビュー直後のミスチルの曲ではまだまだ完全なる田原サウンドは堪能できない。プレイ的にも、だいたい同じようなフレーズが多くバライティに欠ける感じがする。冒険してる感がない。まさに、田原さんもうちょい頑張って。。。!という感じ。
なんでだろう。以下、超個人的推測。
田原さんは、メジャーデビュー時からのミスチルのプロデューサー、小林武史氏におびえていたのではなかろうか。実際にメンバーは「小林さんは怖かった」と話していたし。
当時は小林武史氏がバンドの方向性や作曲について関わる範囲が大きかった。のちのインタビューでも「あの時はミスチルにOOを勉強させた、OOを経験させた」的な感じで話しているので、プロデューサーというか指導者的な立場にいたのだと思われる。小林氏はこのときすでにサザンや桑田佳祐ソロの編曲等で大成功し、大物プロデューサーであった。対するミスチルはデビューしたてほやほや、このころはなかなかブレイクしない時期でもあったため、全く頭が上がらなかったのではなかろうか。そんな中で田原さんも、挑戦的なギタープレイをすることに抵抗があったんだと思う。変なことして怒られたらどうしよう、てきな。
ちなみにこのころのミスチルの曲に「逃亡者」というのがある。なんと、
である。今ではあり得ないが、桜井さんがほぼ関わっていない。というか、正直、演奏自体ミスチル関わっているのか怪しいと思う。打ち込みを主体としたリズム、サンプリングの多用、ラテン、レゲエっぽい演奏。前にも後にもミスチルには一切ないような要素しかない曲なのだ。
おそらくこの頃のミスチルは小林武史の音楽の実験台も兼ねていたのだろう。それだけ当時のミスチルの音楽における小林氏の影響力は強かったのである。
ただし、この頃にも田原さんのナイスプレイは存在する。
「ロードアイミスユー(Everything収録)」、「メインストリートに行こう(versus収録)」では、田原さんが今でも「ランニングハイ(I ♥ U収録)」「Marshmallow day([(an imitation) blood orange]収録)」等で多用するミドルテンポのカッティングが聞ける。ロックギター界ではなにかと高速カッティングがもてはやされがちであるが、田原さんのカッティングは切れ味がすごいあるわけではないものの、ミスチルの曲のポップさをあげる重要な要素になっているとおもわれる。
そんな感じで田原さんは、1994年から激動のミスチルブレイク期に突入するのであります。
次回、「1994~1997 田原さん挑戦期」。
この頃の名曲「Replay」。ポッキーのCMになったらしい。サビで聞こえるスライドギターは多分田原さんのものではない。サビ前の右Ch.のカッティングフレーズがすごくいい。
Mr.Children田原健一その1「田原さんとの出会い」
みんな大好きMr.Children。僕も大好き。
僕はあえて桜井さんではなく、リードギター、田原健一氏が大好きなのだ。田原さんについてはいくらでも語れる。しかし、田原さんファンというのは世間的にも少数派である事はもちろんのこと、ミスチルファンの中でもごく少数なのだ。
田原さんと相棒の青テレ
ライブの時、花道でカズダンスをする桜井さんを観客のみんなが見つめる中、僕は一人ステージ下手側で黙々と演奏をする田原さんを見つめ続ける。まあ時には、桜井さんの笑顔、JENの変顔、ナカケーの熱いヘドバンに目を奪われる事もあるが、デフォルトは田原さんを見つめている。
花道で熱く歌う桜井さんと、黙々とギターを弾く田原さん
僕がなぜこんなにも田原さんに惹かれるのか。
もちろんプレイスタイル、彼の人柄もある。しかし、それは後々語るとして、僕と田原さんの出会いについてお話する。
あれは2012年。僕が中1のとき。音楽を始めたとき。
当時20周年でミスチルは大売り出し中であった。毎日TVでベストアルバムのCMが流れていた。当時はまだスマホが大々的に普及していなかったので音楽の流行についてもテレビの影響が強かったのだと思う。それを見ていて、僕はギターが欲しくなった。
最初は桜井さんに憧れたのでアコギが欲しかった。学校にもアコギやってる人はいたけどエレキはいなかったし。というか、エレキはB'zの松本さんみたいな硬派な見た目の人のみに許されるアイテムであり、自分なんかが弾いたら恥ずかしいという謎の感覚があり、拒絶感さえあった。
そんな中、母に「ギターをやりたい」と話すと、母が知り合いからギターを借りてきた。
それは、エレキであった。
もちろん、ギターを手に入れた事は嬉しい。しかしながら、エレキ。うーん。
やはり、ギターを始める際に目標となるギターヒーローは必須なのである。僕にとって当時ギターを弾く人間としてまとも認識していた人間は、ミスチル の桜井さんとB'zの松本さんくらい。
まとめると、初めてエレキを持った僕にとって、
•桜井さんは、アコギメインだから目標にできない。
•B'z松本さんは硬派すぎて目標にできない。
というピンチな状況であったのだ。ああ、どうすれば、、、。
その時、それまで桜井さんしか見えなかったミスチルで、田原さんを初めて意識した。田原さんはエレキを持っているが、全く硬派ではない。ひょろい。目立たない。音もギュイーン!!より、ポロン...って感じで、優しい。
そこで僕は、田原さんをギターヒーローとする事に決めた。
初めに練習したのは、名曲「名もなき詩」。
田原さんになるべく、イントロの「ジャガジャーン」を何回も練習した。
スライドギターのソロに関しては、楽器屋もない田舎だったので、お菓子のジューCの円筒状の箱を切ってスライドバーを自作し、練習した。
もちろん他の曲も練習した。習い事の少林寺と学校の勉強の合間は、ずーっとミスチルのライブ映像やCDで田原さんを研究した。うざがられながらも、様々な人に田原さんの魅力を熱く語った。
その後も様々な音楽やギタリストの出会いがあったが、僕は常に初心を忘れなかった。つまり田原さんへの憧れを忘れなかった。
時は流れ、ギターを初めて3年後、高専1年。初めてのライブ。
それは、ミスチルのコピーバンドの田原さんパートだった。卒業間近の5年生メインのバンドだったので半年ほどの短い間だったが、僕は憧れの田原さんになれたのだ。
これが、僕と田原さんの出会いのストーリー。
20歳になった今も、ミスチルが新譜を出したりライブをするたび、田原さんを追い続けている。田原さんはとにかく、僕にとって特別なギターヒーローなのであります。
ハナムグリ曲解説「スーパーソニック」
先日リリースしたアルバム「ハナムグリ」の曲について解説するシリーズ。
今回は、「スーパーソニック」について。
イントロセッションを追加したライブVer.。ロックンロール!!という感じ。この曲は、ハナムグリ最初の練習で作りはじめた曲です。
最初の練習は、ギターの僕とベースのBくんが個人的に作っていた2曲のデモをやってみる、アレンジを考えてみる、という感じで集まりました。で、2時間練習なので、飽きるわけです。3人とも、すごいしゃべれるタイプではないし。アドリブセッションやってみようかー、となりました。2,3回くらい適当なセッションをやってみて、割と成立していたので、この流れで曲ができるのでは。。。となり、キーをAマイナーに決めて、曲作りセッションをやることに。
どこがサビとかは全く決めずにやっています。後からセッション音源を聞いて、「これをサビにしよう」「これをAメロにしてくりかえそう」という感じで曲を整理して、この日はここまでまとめました。
そして、次の練習のときの音源です。構成は完成しました。2番のブレイクはDr.のKちゃんのアドリブから生まれてます。この曲の肝です。ライブを重ねるごとに、食い気味なブレイクになっていきました。別に食い気味にしようと話し合ったわけじゃないんです。こんな自然な演奏の変化もバンドの醍醐味であります。
この日に、二番でスラップしてよーとBa.のB君に無茶ぶりをして、次の練習時にはこんな感じになってました。ほぼ完成形です。
そして初ライブの日、午前中の練習で、ラストのベースがクリシェになりました。もともとはBくんのミスだったんですが、それええやん!となり、採用。ようやく完成しました。
さて、この曲のルーツに関して。
まずは、レッチリです。
Red Hot Chili Peppers - Dani California
いわずと知れた、元祖ミクスチャーロックバンド。スーパーソニックは、ほぼこの曲の雰囲気をパクってます。そもそもベースのBくんはレッチリが大好きなので、かなりよせてます。しかし、レッチリ過ぎてもアレなんで、いかに遠ざけるかも考えてました。そこで、使用ギターをストラト(レッチリがよく使う)からテレキャスにかえたり、レッチリがやらなそうな間奏のコードストロークを追加したりしてます。
あとは、個人的に意識したやつ。
Oasis-Supersonic
世界一仲の悪い兄弟バンド。ビートルズ直系のUKロックで、洋楽入門に最適。
やっぱかっこいいな。再結成してよ。
スーパーソニックの歌詞は、このSupersonicの感想文みたいな感じです。
音に関しても、2番で入る不協和音とかで意識してます。
はっぴいえんど-抱きしめたい
日本語ロックのパイオニア。現在日本で鳴らされる日本語のロック・ポップスすべてはこのバンドにつながっている、くらいすごいバンド。細野晴臣、大瀧詠一、松本隆、鈴木茂。メンバー全員が邦楽のレジェンド。
なんとなく、はっぴいえんど期の大瀧さんの歌い方、メロを参考にしております。
Queen-Play the game
Kちゃんのドラムは、スネアのタイミングでちょっとハットが開くときがある。これは、Queenのドラマー、ロジャーテイラーと同じ特徴。スネアのサスティーンをハットでつくるので、ハットがきりっと目立つ。フレディーの美声、ブライアンメイの自作ギター、ジョンディーコンのインテリベースだけがQueenサウンドではない。スネアと同時に開くハットもその重要な要素なのだ。なので、ハナムグリ自体ちょいQueen感あるかもしれん。
次の2曲は、具体的にこう!ってわけじゃないけど、たしかにもとになっている曲。
こんな、ロックンロールについて歌った曲が僕は大好き。
スーパーソニックもそんなイメージで演奏してました。
CDのレコーディングに関しては、演奏はオーバーダビングなしの一発録りです。ミスったら終わり!ですが、たぶん一発で決めた気がします。楽しかった。
ハナムグリ曲解説「RAINBOW」
「ハナムグリ」は、僕が初めて組んだ本格的なオリジナルバンドです。3ピースバンドで、Ba.のBくんは1つ後輩、Dr.のKちゃんは2つ後輩というメンバー構成。2019年夏から2020年冬にかけて活動を行い、6本のライブに出演し、1枚のアルバムを作り、僕の高専卒業をもって活動を終了しました。
この、ハナムグリ曲解説シリーズでは、アルバム「ハナムグリ」収録曲がどのようにして完成したか、デモテープや個人的にイメージした楽曲を交えつつご紹介いたします。このバンドはメンバー全員がアレンジを結構考えていたバンドなので、それぞれに違ったイメージがあったと思われます。ただしここでは、1メンバーとしての目線で語ります。バンド全員の総意ではありませんのでご了承ください。
第一回「RAINBOW」について。
ハナムグリの曲の中では一番明るい感じですね。周りの方にもよく口ずさんでもらった曲でした。ありがたや。
この曲は、ハナムグリ最初のライブで披露した曲です。ライブまであと2週間、持ち時間の割に曲数が少ないし盛り上がる系の曲がない...という事で、セッションでシンプルな曲を作ろう!となりました。
最初に決めたテーマは「明るい」「四つ打ち」「キーはC」です。ギターがほぼずっとCコードで、ベースが動いて曲を作る感じ、間奏はほぼベースソロの感じ、、、という流れで、1回目は終了。30分くらいでここまでできたので、このバンドすごいなーって思いました。Bくんのサビのベースラインは天才的。唯一ギターのコードが動くサビでルートに頼らず冒険するのすごい。
2回目セッションはガアネットさんにて。ここで歌詞がつく。Bくんが、ラスサビ後にもう一回Aメロをボーカルなしで持ってくることを提案。で、やっぱボーカルも入れちゃえとなる。で、Aメロにサビのベースラインを重ねる。それがすごいはまったので採用。Kちゃんとのツインボーカルもここで試す。。。という決定的瞬間が残っていることにびっくり。
で、その日に完成↓
なんとか、ライブに間に合ったのでした。
この曲の個人的ルーツ等について。
スーパーカー「FAIRWAY」
スーパーカーは、1997年デビューの4人組ロックバンド。初期は青春シューゲイザー、後期はエレクトロとかを取り入れて超洗練された近未来的な雰囲気になった。くるり、ナンバガと同世代のギターロックとして語られる。
男女ツインボーカル、ディストーションギターでの空間の埋め方、四つ打ちとか全体の雰囲気はこのイメージ。というか、この頃スーパーカーにハマっていたから仕方がないです。男女ツインボーカルって本当にメロが頭に入ってきやすいんですよね。
Elvis Costello & the attractions 「pump it up」
エルヴィスコステロは、1970年代にデビューしたイギリスのシンガーソングライター。アトラクションズは70年代後半〜80年代前半に一緒にやっていたバックバンド。コステロは時期によってかなり音楽性が変わる方で、僕も全部は聞けてないんですが、このアトラクションズ期の曲は大好き。初期ミスチルとかすげえ影響受けてるんですよね。RAINBOWのセッションの時、ドラムがなんとなく似てる気がしたので、メロの載せ方をコステロ気分でやってみました。
間奏のギターリフとかアジカン意識。ラストにコーラス付きでAメロ再登場とか特にこれ意識。
アジカンのギターフレーズは90'sUKロックと80'sハードロックの融合な気がする。アジカンのギタリスト、喜多さんのギターフレーズは簡単な割に、確実に耳に残るポップさを持ってる。でも、あんまり語られないのが悲しいので、そのうち書きたいなあ。
また、僕は全く知らなかったんですが、知り合いの方が「ムーンライダーズ」というバンドの雰囲気を感じるとおっしゃってました。
70-80'sニューウェーブバンドらしい。多分、80年代前半の細野晴臣の周りの感じ、、、?多分。ニューウェーブといっても広いもんなあ。
確かに、わからなくもない!
四つ打ちにちょいダサなメロつけたらそんな80's的な感じになるのかな。あと、ドラムのスネアの時々はいる"タンタン"もかな。これはKちゃんのアドリブによるもので、この曲のポップさをアゲてると思う。
とにかく、この曲は「盛り上がれる!」「覚えやすい!」「さわやか!」を目指してつくりました。そのために、とにかくダサいメロ、歌詞をクドく使う事を重要視してます。覚えてもらえてよかったです。
初ライブの数日後、高専の多目的室(軽音ライブをやってる部屋)にてこの曲の公開レコーディングを行なってます。CDの音源はそれです。準備片付け含め2時間の突貫工事。みんなの技量の高さのおかげでなんとか終わりました。そんなトラックを細かい要望を聞きつつミキシングしてくれた、コンデンサマイク童貞を卒業させてくれたヤマさんには感謝しかないです。スネアとバスドラの音源逆ですいませんでした。
ブログはじめました
こんにちは、ワタナベといいます。
へっぽこ学生バンドマンです。佐世保で、バンド活動とかイベント企画とかやってました。
先日、福岡に引越したばかりですが、学校が一向に始まらず、友達もいない。暇すぎ。バイトを始める状況でもないし、、、。そしてバンドやりてえけどできねえ。
うーむ、前からやりたかった事、時間なくてできなかった事をやろう!という事で、ブログをやってみる事にします。
内容はほぼ音楽の事です。好きなバンド、ミュージシャンをはじめ、機材、イベント企画の話など...へっぽこ学生バンドマンのワタナベなりに語り尽くします。自分の音楽的ルーツとか、音楽やってるモチベーションとか、作曲法とか、見つめ直すきっかけになればいいなと思ってます。要するに自己満足です。よろしくお願いいたします。
写真は最新の愛機の写真。地元に置きっぱ。早く会いたい。